【裏】SOLITUDE-klang

V系バンドを応援する心理カウンセラーのブログ

世間の幸せが自分の幸せとは限らない

友達の子供が

一回でも使ったティッシュは使わないの
で親もそれを許してたくさんティッシュを使わせる

ほんと 1滴の水を拭いただけなのに

もうゴミ
それを見ていてね

子供の頃ってそうゆう 特に意味のない(ように見える)拘りがあった
今だって心の声を聞けば

こうゆう拘り ある と思った

 

大人はそれを見て「どうでもいいこと」って思うよね

だから「それあるんだからそれ使いなさい。勿体ないでしょう?」と言う

しかめっ面して嫌だと訴えて

でももう一度"それを使いなさい"と言われたら

諦める
そしてこんなことに拘る自分はおかしいんだ

ダメなことなんだ

と学んでいくんです

 

こうゆうのが固定観念や一般常識に変貌してゆく

 

 

それがどんなに無駄に思えても

その人にとっては大切なことだったり

大切な順番だったり

これが「好き」についても

子供って汚れたボロボロのタオルが大好きだったり するでしょう?
他人がそれを「~なさい」で縛る権利はないわけで

そこを許容されて育ってきた人と

否定され 更には笑われて育ってきた人との自己肯定感には

雲泥の差が出て当然なのです

 

 

私は 否定されて笑われて育ってきたけれど

今は自分が自分にその小さな拘りを許している

だから 両方知ってるの

 

自分の中の拘りや好きが認められた時は

 心の内側がすごくすごく喜ぶ

 

「好き」も「拘り」も「順番」も

人によって細かく違う

私が好きなものを

仲の良い友達が好きじゃないと言っても

それは当たり前で

自分の好きや拘りを認めていくと

他人の多種多様な好きや拘りも認めていけるようになる

 

ある年齢に達したら

結婚して家庭を作るのが幸せだとか

事業で成功して大金を稼ぎだしたらすごいとか

そうゆう時代は

もう終わっているのです

 

幸せも成功も自分しか知らない

時代は 「自分の幸せに沿って生きる」時代に移っている

 

   
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