【裏】SOLITUDE-klang

V系バンドを応援する心理カウンセラーのブログ

「No」と言える日本 人

そんな書物がありましたね。
Noと、言えないわけじゃないんだよ。
ただ、自分の本音からのNoではなくて、
体裁やら世間体やらのフィルターに通してからの、Noなら言えるってもんですね。


「自分軸で生きる」という言葉
流行語のようになってきましたけど。

私、幼い頃からめっちゃ自分軸で生きてたんです。
だから誰にでも本音からのNoが言えるのだけど
成長していく過程で
自分がNoということで、大切な人を傷つけてしまうという、幻想を抱いたのでしょうね。
それから、Noと言うとき罪悪感が伴うようになりました。

みんな、そうなんじゃないかな?

生まれた時はみんな
自分が感じることに善いも悪いもなく
ただそれを表現しますよね。
成長して、誰かに
咎められたり、笑われたりして

素直な感情に×をつけ始める。
そして、我慢してYESと、合わせられる人のことを大人と呼び
自分の本音を深く深く閉じ込めてしまう。

子供の自分が出てきた時は
恥ずかしさを感じたり、自己嫌悪に陥ったりします。


閉じ込めて、蓋をしてしまった本音は
人の中から消えることはなく
その人の周囲の誰かから、その本音を聞くことになるのです。

職場の上司や同僚が
その人の中の善いと悪いを、役柄別で演じてくれます。
やりたくないことを、笑顔で引き受けるあなたの目の前には
やりたくないことをうまく甘えて、やらない部下がいて
「まだ終わんないの?仕事が遅いなぁ」なんて目で、上司が見てる気がする。

あなたの中には
"やりたくないことを、甘えてやらないのはいけないこと"
という、ルールと
"自分は仕事が遅いから怒られる"という思い込みがある。
そして"やりたくない"という、本音です。

それを目の前の人達が、見せてくれているのです。

幼い頃から、本当の自分を抑えて、殺さなければならない環境を生きて
世間で言う「大人」と呼ばれるものになった人ほど
この世は自分に厳しくて、苦労をするものです。

どうしてこのまま生き続けなくてはいけないのか
どうして生まれてきてのか
どうして、こんな家に生まれたのか

と、何度となく生きることをやめたくなると思います。

しかしそれでも生きてきた、といよりも
誰かに生かされてここにいる実感がある私は
「私」という何かの、深すぎる愛を感じるのです。
自分で生きた、わけじゃない。
いつでも生きることなんてやめられたくらい
嫌な思いをしたし、死ぬ ことも怖くなかった。
だけど諦めたときにはいつも、環境が突然変わったり
美しいものを見たりして
死ぬ ことを忘れるのです。

思えば、そうやって幾度となく
人生をリセットしてきました。

そして、その人生を歩いた先にあったのは
「自分は自分のままでいい」という、実感でした。

よく聞くあんな、軽いものじゃなくて
深い部分で、それが腑に落ちたのです。

あの頃のようにNoと、言っていいし
言えなくてもいい。
その時選んだ言動は全て、私が選んだものであり
全てが正解であると。

私のような人間は、人と争うことも多い
それは、私のなかにある罪悪感と、自分に厳しくしてしまう癖が抜けないからなのだけど
私は決めたのです。
誰と争ってでも、自分を守る。
自分が一番、自分のファンであり
どれだけの人の反感を買っても
私だけは私の味方である。


これを本当の、「自信」と呼ぶのだと思います。